今日は仕事で早稲田方面に行く用事がありました。
そこで仕事終わりに、早稲田大学及び早稲田中をちょっと見学してきました。
息子はもともと「大学附属中」を志望していたので、早稲田中も候補に入っていました。
しかし早稲田中を見学し、さらに過去問に触れてみてあっさりと断念。
曰く「何か合わないんだよな~早稲田って」
おいおい、その言い方なんだ!と叱りましたが、実のところ全くレベルが足りてなかったのと、問題の傾向が息子と合わなかったのです。
でもさすがは早稲田。伝統を感じる重厚な作りだったのを覚えています。
久しぶりに早稲田へ
仕事終わり、まずは大隈記念講堂を見学に行きました。
よく写真などでも紹介されますよね!
ついでに大隈講堂の裏側にある大隈庭園を散策してみました。
大正11年に大隈重信の没後、その遺志によって早稲田大学に寄附され、大隈会館の庭園として活用されました。
戦災で全壊に近い被害を受けたが、戦後復旧されたそうで、記念の石碑もありました。
明治43年に『名園五十種』という本に紹介された大隈庭園の記事によると、庭には山や谷があり、泉水も塔もあり、極めて曲折の多い名園だったということです。
現在はのどかな庭園という風情で、よく見ると真ん中の石のところでサラリーマンか学生かが寝ているのが見えますね(笑)
しばらく散歩して早稲田大学を見学した後、息子が一度は検討した早稲田中へ行ってみました。
早稲田中はいつでも見学可能!
早稲田中は、日曜祭日以外はいつでも見学可能です!
ただし学生が勉強しているせいか、校舎内とグラウンドへの立ち入りは禁止されています。
入り口の警備員室で、見学したい旨を言うと、入構証を渡してくれるので、校舎見学はいつでも可能。
もし現在小4・小5で検討している方がいたら、是非見学にいかれては?
午後の遅めに行けば、グラウンドで部活している生徒を見ることも出来ますよ。
早稲田中の歴史は慶應中等部(戦後)よりも古く、1895年(明治28年)に、坪内逍遥を中心として作られました。
坪内逍遥は創立して10年間は執筆活動を中止して早稲田中の精神的形成にまい進したそうです。
とはいえ、これは早稲田高校の話。今で言う「中学」は、戦後1951年に併設されたので、慶應中等部と似たような感じですね。
早稲田中は、大隈重信によって創立された早稲田大学建学の精神「学問の独立」に基づき、「人格の独立」を主張しています。
自らを信じ、自立心を生徒に要求し、「逆境に処して益々雄壮」な人間育成を理想としています。
「意外と知らない福沢諭吉」でも紹介したように、大隈重信と福沢諭吉はとても仲が良かったそうで、こうした理念も通じるところがあるんですね!
では、早速早稲田中を見ていきましょう。
こちらは2号館で、中学生の学び舎です。
早稲田中は早稲田高校との一貫教育を行っており、同じ敷地には高校棟もあります。
しかし普段はあまり交流はないとのことでした。
校舎は6階建て。慶應中等部が4階建てなので、まあ似たような感じでしょうか。
心なしか校舎の色も似ているような・・・
そしてこちらは、早稲田中のグラウンドです。
慶應中等部の中庭よりは広いですが、中等部には「綱島グラウンド」があります。
早稲田中にはそれもないので、ここは主に野球部やサッカー部が活動し、陸上部などは学校外のグラウンドを借りて練習しているそうです。
同じ都会の学校同士、グラウンド確保は大変なんだな~と思いました。
早稲田中の正門を過ぎたあたりにある大隈重信の銅像がある中庭です。
ちょっとしたベンチなどが置かれ、オシャレなキャンパスといった雰囲気を醸し出していますね。
慶應中等部にはこうした中庭はないので、ちょっと新鮮な感覚で見てしまいました。
今年の受験を見に行こう!
現在小4・小5のお子さん、及び親の方へ是非ともお伝えしたいことがあります。
それは、「今年の受験の様子を見に行ってください!」ということです。
今年は2月2日が土曜日、3日が日曜日です。
実際の中学受験に挑む6年生の姿を見るチャンスです。
2月2日はSFC、3日は慶應中等部の入試があります。
早稲田中も3日に2回目の入試が行われます。
塾の先生方も大勢やってきて、学徒出陣みたいな凄い雰囲気になります。
親にとっては来年の混雑状況や交通事情の下調べが出来るチャンス。
是非、時間を作って、志望校の受験日の朝を体験してみて下さいね!