慶應を受験するに当たり絶対に必要な、福沢諭吉の精神。
ここでは福沢諭吉が最も重視していた「独立」についてご紹介します。
息子が通う中等部でも、「自ら考え、自ら行動し、その行動に責任を持つ」という校風があり、これは福沢諭吉の「独立」を中学生にもわかりやすくしたものです。
そのくらい「独立する」ことは、慶應において重要視されているのです。
慶應で学ぶには、この福沢諭吉の考えを理解しておく必要があると言えるでしょう。
福沢諭吉は「独立する」ことを何よりも重視していました。
諭吉は独立を「自分で自分の身を支配し、何かを頼りにしようという気持ちがないこと」と定義しています。
また、少し仰々しいかもしれませんが、学問のすゝめでは、次のように言っています。
諭吉の言った「独立」は個人のことだけを指してはいません。
個人が独立したその先に、立派な国家の独立がある、と考えていたのです。
ここでいう国家は、地域や会社、はたまたクラスに言い換えることも出来ますよね。
「自分は何もしていなくても、きっと誰かが何とかしてくれるだろう」
多くの人や生徒がこのように考えて、毎日ダラダラと過ごしていたら、そのクラスはダメになってしまいます。
会社や地域、国家であれば、いずれは破綻してしまうかもしれません。
厳然たる身分制度が存在していた江戸時代は、一部の支配階級だけが地域や国の行く末を考えていました。
多くの庶民は日々の生活をこなすだけ。
危機感を抱いた福沢諭吉は「これではいけない。あなたも組織や地域、国の担い手なのだ」ということを気付かせようとしました。
それこそが、学問のすゝめなのです。
そこから100年近く経過したアメリカで、ケネディ大統領はこう言いました。
「国があなたのために何が出来るかを問わないで欲しい。あなたが国の為に何が出来るかを問うて欲しい」と。
これはまさに、福沢諭吉の説く「独立自尊」そのものですよね。
表面だけ取ると、「国家の為にお前も働け」と言ってるように思えますが、そうではありません。
福沢諭吉が言ったのは「国家というのは結局のところ、国民の合わせ鏡であって、国民の知力の総体が国家の力になる」ということなのです。
『西洋のことわざに「愚民の上には圧政がある」と言うのはまさにこのこと。
政府が悪いのではなく、愚民が自分たちで招いた結果なのです』
諭吉は学問のすゝめで、このように述べてもいるのです。
要するに「誰か偉い人が動かしてくれているから大丈夫ということではない。あなた自身がその一部なのだから、勉強せず怠けていたらしっぺ返しを食らうよ」ということ。
もっと簡単に言うと「文句ばっかり言っていて、自分の手を動かさずに丸投げはダメ!」ということでしょう。
今息子はこの「独立」へ向けて必死に頑張っている途中です。
文句ばかり言ってしまう時もありますが、そのしっぺ返しを食らうのも自分。
毎日、勉強ですね。
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